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(※)一番左が福盛
■ 企業向け電話交換機(PBX)と共に歩む中国
改めまして、NEC信息系統(中国)有限公司 企業信息通信系統事業部の福盛孝一と申します。 現在の業務内容は企業向け電話交換機(PBX)を中心とする企業向けネットワ-クシステムの販売をしており、担当地域は中国全土の日系企業様と華北地区を中心としたホテルへの販売を担当しております。 当部は現在ユビキタス時代に沿った製品の導入及びサービスに力を入れており、特に今後猛烈な 勢いで浸透するIP電話の導入及びコールセンターを中心としたCRM関連サービスにも力を入れております。
■ どうしても中国に行きたい! 憧れの中国へ
平成元年(1989年)NEC入社後、NEC沼津支店に6年間勤務。当時は汎用コンピューターの営業を担当しておりましたが、どうしても中国関連ビジネスがしたく、NEC第2回社内公募に申し込みました。そして平成7年(1995年)7月に、当時のビジネスネットワーク事業部(PBX生産関連)の海外システム部に異動となって以来中国担当となり、2000年8月より中国の駐在員となりました。 振り返れば、そもそも大学受験の際、「これからは中国だ!」という明確?な目的を持ち、学科選択に於いて「中国文学課」を選択しました。まだ日本人も少なかった1985年7月(本当に少なかったです...)に初めて北京に留学して以来、「中国中毒」にはまっております。 今でこそ「先見の眼」があった!とみんなには言っていますが、正直ここまで中国が変わるなんで思っていませんでした・・・(笑)。
■ 度胸を頼りに中国へ渡る。
そもそも「営業」は日本国内で6年間努めていたので、自信はあったかどうかは判りませんが、度胸は持っていました。しかしながら実際に中国で営業活動(非日系企業へ)を行うと、商習慣の違い、自社への忠誠心の違い等が出てきて、かなり戸惑いました。
97年2月より長期出張という形で、NEC香港社の中国大陸へのPBX販売を担当することになり、約3年の間、販売,各代理店とのやりとり、及び当時は電信局とのやりとりを経験して、何とか中国での販売とはどの様なものなのかを理解出来るようになったものです。
2000年8月 当時の本溪NEC上海分公司に正式に出向・赴任となってからは、合弁相手先の中方との激しいやりとりを経験し、2002年7月NEC中国、2004年7月NECSL中国と組織は変わっても、基本的にはPBXを中心とする販売=弊員の業務自身には変化はありませんでした。会社が変わろうが、組織が変わろうが、基本的には「お客様の為に」をモットーに販売活動を続けております。
■ ひょんなことから大トラブル。
中国で仕事を始めて以来、客先売掛金回収不能、客先倒産、等の苦い経験はたくさんありますが、印象的な思い出は・・・そう、ある時ホテルのお客様から電話システム(PBX)がダウンして業務に多大なる影響を及ぼし、「罰金を払え!」と大クレームを受けました。そこで私自ら客先のホテルに出向き、PBXルームで原因調査及び復旧作業をしていると、PBXの下のケーブル部分にネズミが感電して死んでいました。要はネズミがケーブルを齧った事が原因でPBXがダウンしてしまったのです。ITに関わる方からは、そんな笑話しをするな!と良く言われますが実話なのです。 この事件以降、私自身はお客様にPBXの提案だけでは無く、PBXルーム(マシンルーム)のコンサルト的なお話もするようにしています。中国ならではの経験はなにかと豊富になりました。
■日系企業と中国企業の違いを理解し対応していく
先ほど「お客様の為に」を第一に活動を心がけて活動していると書きましたが、日系企業はきめ細かくサポートするのが大前提であり、日本国内と同様のサポートを求められます。一方でローカル企業は、中国独特の商習慣が残っており、また「安ければ安いほど良い!」「ここは中国、安くなければ行けない」という考えが未だに根強いですね。さらには「サービス」に対して対価を支払う事に抵抗を持たれているのかも知れません。これからの中国は、08年北京五輪、10年上海万博、広州アジア大会等ビッグイベントが続きます。中国は世界のリーダー国の一つとして、さらに変化・成長していくものと信じていますが、こういった商習慣も変わっていくのかは正直誰もわかりません。しかし、互いを理解し合えれば不可能は無いと信じています。私個人としては、今後も日本と中国の本当の架け橋になれる様、更に努力を続けていきたいと思っています。
中国で働く皆さん、中国に於いては特に「継続は力なり」です。根気よく頑張りましょう!
そして、今後ともNEC UNIVERGE製品を宜しくお願いいたします!!
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