|

自動車Solution事業部北京営業部の王です。豊田投資(中国)有限公司を担当しています。自動車事業部は車生産会社や販売会社に対してソリューションサービスを提供しています。お客さんは日系だけではなく、ローカル企業もあります。
学生時代
1982年に内モングルの通遼市で生まれました。「モンぐる王」と言うお酒がここに生産されています。母は小さい頃に常に北京に出張し、おもちゃを買ってくれます。その時からも北京はどの様子でしょうかと時々頭に飛び出しました。 高校時代は二年間をのんびりし、あまり勉強していなかったです。三年生から、一生懸命に勉強し、ようやく北京第二外国語学院に入りました。私にとっても、奇跡です。2000年の北京第二外国語学院では大学入試点数が高ければ日本語学部に入れます。実際一番学びたい学課は英語でしたが、その原因で日本語学部に選択されました。大学の一年生と二年生が努力し、日本語を把握し、三年生から、ガイドや翻訳などのアルバートをやりました。中日友好三十年の記念式には僕が日本人のお客さんを連れて人民大会堂に食事したことも今までもはっきり覚えています。
工場生活
初めての仕事場所は北京ではなく、天津のある日系貿易会社に投資された新しく設立した工場です。
最初のチームには5人のスタッフしかいなかったです(二人は支援者)。仕事の担当は生産管理でした。毎日事務所で生産管理を勉強以外にTEDA工場に行きました。作業員は募集されない間に常に副総経理、製造部の課長と一緒に作業員の仕事をやりました。この眼で工場人数が増えることや生産ラインが組立てることを見ると本当に嬉しかったです。そして、仕事内容としては、部品の発注、納品、工場内の部品LAYOUT管理、安全在庫なども管理しています。一番疲れたことは毎月末の棚卸、全員参加し、やります。何十種類の部品をもし一個数え間違ったら、再度数えなければならないです、毎回の棚卸は3回以上やりました。今まで見ればこの仕事は工場生活の面白さを体験することです。15月間の工場生活が終わってから、個人的な原因で北京に戻りました。
NECSLでの就職動機
どうしてNECSLで就職したいかと言うと、いくつかの原因があります。先ずは僕の生産管理を教えた先生が営業担当です。日本に帰国前に「必ず営業の仕事をやってみて、王さんの成長には役立つよ!」との話しをしてくれたのです。又はNECソリューションが中国のIT界で大手会社なので、ITには興味を持っていますから、履歴書を送って一度面接させてもらいたいでした。
NEC営業代表
面接してくれたのは今の営業部部長藤井さんでした。一つの質問を又覚えています。「お酒に強いですか?」「問題はないです」。 実際の業務をやると、お酒と関係はあまりないとは分かりました。先輩及び上司から、いろいろ基本的な知識を教えていただき、小さな案件から、営業をやって行って、問題に会ったときは同士などに聞いて、沢山な経験を積みました。営業としはお見積、提案、原価などの管理ではなく、ソリューション知識を持たなければお客さんに対応するのは難しいです。それについてよくインフラ打合せに参加し、各製品の特性やインフラ構築の知識を把握できるのが僕の一つの経験談です。又はお客さんのニーズを理解するのも重要です。ここには真に仕事面に助けってくれた皆さんを感謝したいです。
お客さんが豊田様です。ご存知のように、豊田が中国では長春、天津、四川、広州などの都市に工場を建設し、又LEXUSなどの豊田高級車を販売しています。車の生産台数や販売台数も益々増えてきました。豊田高級車LEXUSの例を上げまして、私が2005年に入社した時には中国での販売店が13DLRしかないでしたが、今も30DLR近くになってきました。数量も又増加していきます。豊田のTPSなどの管理も世界で有名なので、もし興味があれば、是非一度勉強し、必ず皆さんの仕事に役に立つとおもいます。
営業担当以外にはNECSLの「サッカーチーム」のFW担当です。去年5月にはNECSLのサッカーチームに参加し、FWをやってきました。今までは25ゴール以上ができました。又は多くのゴールを期待されています。
未来へ
どんな仕事にも自信を持ってやらないと成功になれないと思います。そして、具体的な営業との仕事が人間関係やコスト管理、交渉の能力などには関連しますから、これからも失敗を負けずに沢山なことをチャレンジし、仕事をやって行きたいです。又は、お客さんのニーズを理解すること、お客さんに一番良いサービスを提供することやコストを下げることも何時でも忘れないよに頑張って行きたいです。
未来はどの様子になるのでしょうかとわからないです。シーナ・リンゴの歌詞のように「明日のことはわからない」。だが、努力しなければ将来は明るくないと信じています。「あなたの資本は若く、勉強の時間が又ある。だから、どこでもいつでも勉強を忘れないで」と母が何時か教えてくれました。私は常にこれを覚えて自らを鞭撻しておきます。
|